エルデンリング プレイ日記 (番外編1) 【ロアの実】
エルデンリングのプレイ日記、番外編です。
今回は、ロアの実に関する妄想を報告申し上げます。
プラットフォームはPlaystation5
ネタバレ全開なので、気になる方は回れ右でお願いいたします。
また、
考察まで至れない浅ーーーーい知識を基にした二次創作のようなものですので、
「そういうのはチョット」な方も回れ右でお願いいたします。
ロアの実、多すぎませんか?
・赤く光るロアの実
リムグレイブを散策していると、いろいろな素材アイテムを手に入れられます。
その中でもこのロアの実、探索をしているとわかるのですが、そこら中に生えています。せっせと真面目に集めていると、100ヶくらいはすぐに集まるくらい、とにかく大量に。
では、ここまでたくさん用意されているので、さぞアイテム作りに大量に必要なのだろうと思うと、そういうわけでもないのです。
たとえばロア・レーズンという、みんな大好きお馬さん「トレント」用の回復アイテムでは、製作に必要な数は1ヶ。ではそれがそんなにしょっちゅう大量に必要かというと、1ヶ当たりの回復量はあまり多くはありませんが、かといって頻繁に使う機会もありません。
・激しい攻撃の前では回復する間もなく一時撤退してしまうことのほうが多い。
他にも複数個を要求されるアイテムもあるのですが、その製作には明らかに入手難度や入手機会自体が少ないアイテムが必要なので、必然的にロアの実の在庫は所要に対して常に過多になりがちです。
・そうだね、ふんわり無理しよう。
たとえばこの「ふんわり綿」は、落下ダメージを回避できる許容高さを拡大してくれるという、地味ですが探索には非常に有用なアイテムです。
これの製作には、ロアの実を3ヶと、「燻り蝶」というアイテム1ヶが必要です。しかしこの燻り蝶、あちこちの野営地などで見つけることができるのですが、いかんせんここは人口密度の極端に低い狭間の大地、ロアの実と比べるとその入手頻度は決して多くはありません。
さらに、燻り蝶は他の火に関連する複数のアイテム製作にも必要になるので、必然的に両者の在庫バランスは、ロアの実に大きく偏りがちです。
ここまで入手量に偏りがあると、意図的な設置、即ち単純な素材アイテム意外の役割があるように思えてきました。
存在自体がフレーバーということです。
そこでふと思ったのが、みんな大好き北欧神話との関連でした。
セイヨウサンザシ
・この形はまるで
・小さな切れ目の広い葉が特徴。トキワサンザシと比べ実はでっぷりと大きい。
庭木図鑑 植木ペディア (https://www.uekipedia.jp/) 様より
あらためて画像を見ると、ロアの実はセイヨウサンザシによく似ています。葉の形からして、モチーフにされていることは間違いなさそうです。
セイヨウサンザシのおそらく最も有名な役どころとしては、キリストの戴く冠はサンザシの枝葉を編み込んだものですし、その弟子ヨセフの伝説(いわゆるグラストンベリーソーン)はサンザシが主役のようなものです。
北欧神話でもよく扱われており、古来ケルトの民俗にあっては豊穣の象徴(いまでもマストアイテム)として重要な役割を得ていますし、西洋の風俗の中では今も魔除けとして扱われていたりと、セイヨウサンザシの役割とその意味は非常に大きいと考えられます。
そういえば、今作のキーワードの円卓といえば、世界一(たぶん)有名な魔術師マーリンですが、彼が愛ゆえに囚われたのはサンザシの花野でした。
うーん、ロマンティック。だが断る。
このように神話などで語られる際のセイヨウサンザシは、白い花をつけた姿=繁殖、繁栄といった生の象徴や、性愛に関する象徴として扱われている一方、赤い果実は現代の風習でも魔除けの役割を果たすこともあれば、その棘を主とした枯れ枝などで表される際には、不吉なものの象徴として扱われることもあります。
同じモチーフでありながら、その姿によって、陽と陰、真逆の象徴として扱われているのです。
では、ロアの実の持つ意味までセイヨウサンザシをモチーフとしているならば、今作でのその役割とは何でしょう。
そこで、あらためてアイテム製作に注目してみると、その輪郭が見えてきます。
ロアの実は、属性への耐性を上げるアイテムの他、ルーンの取得量アップというスピリチュアル的な効果のあるアイテムにも必要です。いわゆるバフアイテムです。ファンタジーの王道である、理屈ではない、呪術的で観念的で言ったモン勝ち的な概念で成立しているアイテムです。
そこで考えられるのが、ロアの実がただの食用の果実ではなく、かつて黄金律に支配されていた狭間の大地の理と深く関係しているもの、ということです。
・その他の素材となる植物。ロアの実と比べ入手量は明らかに少なく、
その植生もやや”特殊”なものもある。
祝福の根源たるエルデンリングを失った狭間の大地は今、終わりを迎えようとしています。しかし、かつての力が全て失われたわけではなく、残された力によって辛うじて歪に成り立ちながら終わりへと向かっている、その過程にある状態です。
ケルトの民俗では、冬から春先を闇の時期(すんごいざっくりですが)としています。これと狭間の大地を照らし合わせてみると、突飛ではありますが、お先真っ暗、闇の時期の一歩手前の秋、といったところではないでしょうか。
始まりの地、リムグレイブ景色を彩る色合いは、命に満ち満ちた春や夏のそれとは違い、やや色褪せたようにも見えますし、黄色い葉をつけた木々もあります。どことなく涼し気な、秋の様子にも見えないでしょうか。
では秋のころ、現実のセイヨウサンザシはどのような姿でしょう。
そう、セイヨウサンザシは秋になると、ロアの実によく似た赤い実をつけるのです。
というわけで長ーい前振りも終わりましたので、妄想を並べて終わりたいと思います。
滅びへの反旗
かつて狭間の大地は、黄金律の下、祝福(またはルーン)と呼ばれる力により多くの生物が生きる、黄金律の環=エルデンリング を理としていた世界でした。しかし今や狭間の大地からは理の中心である黄金律が失われ、人々は変容を余儀なくされています。
しかし、動植物などの自然環境にはあまり大きな変化がないように思えます。見渡す大地には木々が生い茂り、遺跡の周りは草原に覆われ、動物たちが長閑に暮らしています。
・いや~こりゃのどかだわ~
滅びゆく世界にしては、どこか牧歌的とも思える光景です。
ですが、もしも狭間の大地に「季節の環」がなかったとしたらどうでしょう。
私たちは季節の巡りを知っているからこそ、自然の変容も当たり前のものとして日々受け入れることができます。しかし、もしも自然が「変わらない=当たり前」の世界だとしたらどうでしょう。変わるはずのないものが変わってしまう。それはきっと安穏と受け入れられる事態ではないでしょう。
・一見、向日葵のようだが花弁が向く先は太陽ではなく、
沈むことのなかったはずの黄金樹。
それが枯れかけているということが意味するものは。
世界の根源たる力は失われ、世界は残された力にすがりついてはいますが、それも日々刻々と確実に失われてゆきます。かつては常に生に満ち溢れていた狭間の大地の自然もまた、少しずつ終りへと枯れ続けてゆくばかりです。
もしかしたらそれは、狭間の大地が初めて見る自然の変容だったのではないでしょうか。
・ね、ヴァレー(怒)さん
しかしその中で、かつて繁栄の象徴として白い花弁で世界中を彩っていたロアの花木のひとつが、赤い実をつけます。
黄金律が失われ、終りを待つだけの世界には訪れるはずの無い次の季節の為、その身に残されたわずかな祝福を湛えた、まさに奇跡の実です。
黄金律を失い、滅びを定められた世界にとって、それはまさに異端です。
それは大いなる意志のいたずらか、はたまた、ロアの花木のささやかな反乱か。
終りゆく世界の理に反する何かは、確かに生まれたのでした。
はじめは一房だけ生まれたロアの実は、ゆっくりと、少しずつ、その数を増やしてゆきます。やがていつしか、街道の傍らに、海を臨む丘の上に、獣たちの行き交う森の中に、かつて可憐な白い花が揺らめいていた叢には、血のように赤い実がひしめくようになりました。
しかし、変容する世界の中で、その小さな反乱は、あまりにも小さすぎたのかもしれません。かつて、こんなにも多くの祝福に包まれていたことも、そして、それが今も微かな希望として輝いていることも、もう誰も知ることはありませんでした。
・世界に遺された希望を見出したのは、
かつてこの地を追放された異端者だった。
そしてついに、褪せ人と呼ばれ蔑まれる放浪の戦士が、その赤い実が湛える力に気づきました。かつて祝福を失い、蔑まれ、追放されたその大地へ再び訪れる宿命に支配された褪せ人がこの実の力に触れることができたのは、ただの偶然なのかもしれません。しかし、見えざる意志に導かれた可能性を、抗うもの同士が惹きあう奇跡を、どうすれば否定できるでしょうか。
果たしてこの世界は、黄金律によってのみ永らえるものなのでしょうか。根源の破砕により生まれた新たな輝きは、終りゆく世界のただの気まぐれなのでしょうか。
伝承の陰に隠されてきた真実は、やがて一人の褪せ人によって明かされることでしょう。たとえそれが、一片の祝福すらもたらすことのない結末だったとしても。
以っ上! おーしまいっ!!!
本日のYOUDIED : 私の語彙
本日のまとめ: 困ったときは、倒置法。
※まだまだ攻略中で、見ていない要素も多いので、
いくつかの根拠はあえて端折っております。
矛盾点は悪しからずご容赦ください。